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2011年9月 2日 (金)

別の観点から見た掛軸 その8 <床の間の様式と掛軸の関係④>

こんばんは玉木覚です

今回は床の間の『行』と掛軸の『行』について見ていきましょう

ただし、『行』のお話は少し長くなりますので、前編と後編の二回に分けてお送りします。今日はその前編です。『行』(特に『行の行』)の歴史的背景をメインに見ていきます

まずはいつものように『真・行・草』の各言葉の意味やイメージについてみておきましょう。(このことは床の間の場合でも掛軸の場合でも、同様に解釈して用いることができます。)

●真 ⇒ 『真・行・草』の中で最も格上の様式。イメージは、荘厳、格式、厳粛、権威、豪華、など。また、武家様、唐様、仏教系の要素を持つ。

●行 ⇒ 『真・行・草』の中で二番目に格上の様式。イメージは、端正、優雅、憩い、など。また、公家様、和様、神道系の要素を持つ。

●草 ⇒ 『真・行・草』の中で最も格下の様式。このことから「格落ち」の意味を含む。イメージは、侘び、さび、雅趣、風情、遊び心、など。また、武家様に対する反対の概念(アンチテーゼ)や禅的な考え方を持つ。

禅的な考え方 ⇒ 『草』は武家様の反対の概念を持っているとはいえ、千利休が当時の武家社会に立脚していたことを考慮すると、やはり千利休が生んだ『草』は武家様の対極にありながらも武家様の一面を写すものと考えられます。

今日は『行』(特に『行の行』)の歴史的背景を見ていきます

『行』はさらに『行の真』、『行の行』、『行の草』の三種類に分けられます。ちなみに、『行』という考え方の根本には、『真』や『草』と比較してあいまいな部分があります。これは『行』には大きく考えて、公家方のいわゆる本道の『行』と、江戸時代の町人たちによって本道の『行』とは趣の異なる「いき(粋)」という考え方を取り入れて発展した『行』が存在することからも推察されます。私個人的には、このあいまいな部分が『行』の面白さだと思います。

<『行』(特に『行の真』)について>

公家方の『行』がいわゆる本道の『行』だとされていますが、これには少し分別してみる必要があります。『行』の床の間の一例としては桂離宮(1615年頃から造営に着手)がありますが、江戸時代以降は公家の権力の低下によって公家方行座敷と思われるものが見出せないといわれています。すなわち、桂離宮あたりが『行』の最終進化型といえそうです。『行』の仕様はそれまで数百年間の行政主体であった公家の歴史を反映しています。

ここで『行』のお話をする上での大切な歴史のお話を紹介します。平安時代の統治体制は、国政を統括する太政大臣と朝廷の祭祀を担当する神祇官の二官を筆頭に組織されたものです。これらの機能は実質的には10世紀後半に形骸化したのですが、形式的には明治のはじめまで存在していました。公家様の『行』はこれを元に両者を分けてみていく必要があります。

太政官(長官は太政大臣)は律令制度における行政府の最高機関です。行政府における官僚は男性であり、漢字を公用語として、ハレ**の場では漢詩を詠じるといった唐風を尊ぶことを旨としていました。この男性公家用を便宜的に「官人系」と呼ぶことにしますが、これらのことより官人系のスタイルは唐様であるといえそうです。

**ハレ ⇒ 正式を意味する民俗学用語。「晴れ着」や「晴れの舞台」というのはここからきているようです。そして、ハレの反対の概念としてケ(普段)があります。

なお、『行の真』は『行』の中でも『真(唐様)』に近いものと解釈することもできます。したがって、この格式的なスタイルを『行の真』とみなすこともできます。

ところで、神祇官の設置は天皇家を頂点とする神祇信仰に基づくものです。『真』における『真』と『行』を区別する考え方を参考すると、『真』を表向き(ハレ)、『行』を奥向き(ケ)とする考え方もできます。そして、神祇官も国家政策にかかわるもの(ハレ)であることから、これも『行の真』と仮定することができます。

すなわち、『行の真』には官人的な『行の真』と神祇的な『行の真』の二種類が存在すると推察されます。

ではこの二つは一体何なのでしょうか?もう少し歴史の話にお付き合いください。

太政官は仏教の支持者ともなる当初は排仏派であった藤原氏が、神祇官は中臣氏が司りますが、もともと中臣氏から分かれたのが藤原氏です。また、神祇官は組織上は太政官から独立していましたが、実際は太政官の支配を受けていたといわれています。つまり、藤原氏は以降、長きに渡り(千年くらい)神仏の世界を支配し、政治の世界を手中に収めることになりました。このことから推察すれば、官人系神祇系は本来が同じものであるともいえます。

また、仏教の浸透にしたがって、その危機感から形態を様式化し、ときには道教思想などを援用して権威付けてきたものが神道であることから、『行の真』とは本質的には唐様の姿を借りた神道的な和様ととらえることもできます。

次回(後編)は『行の行』と『行の草』を歴史的観点から見てから、『行』の床の間と掛軸のお話に移ります。

(『行の行』は『行の真』のバリエーションとして、また『行の草』は江戸の町人が生んだものとして存在します。)

お楽しみに~

表具師 玉木楽山堂

http://www.tamakirakuzando.com/

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